八章[八章]森本は「川田ですよ、川田、川田通子に違いない」と言って「川田はあの日、久江の結婚式の披露宴に来ていました。 川田通子は僕の事が中学の時から好きだったのに、と久江に言ったそうです」 「いつの事です」と尋ねる僕に森本は「2年前です。『私がモッツンといるといつもあなたは仲を引き裂くように邪魔をして 私から彼を取り上げた』と川田から言われたと久江は美容院のオーナーに言ったそうです。 僕は川田の狡猾そうな目付きが嫌いで近づかなかったのですが、何かにつけて声をかけてきたのです」 「久江はどうしてそんな彼女と仲が良かったのでしょう」と言うと 「川田は男性的で、言葉使いも男のようで、久江がいろんな奴から絡まれていると追っ払ってくれたようです。 それで久江も恩義を感じていたのでしょう」 「しかし、僕がこうして聞いていると、その川田は久江といると君に近づくチャンスがあるからそうしていただけのように思いますが」という僕に 森本は「大人の考えだとそうなりますが、あの当時の久江にはそんな事を思い付く事もなかったでしょう」と言った。 川田通子がずうっとそんな恨みを久江に持ち続けていたとしたら、結婚当時は恨みもまだまだ生々しかったであろう。 恐らく森本の憶測は当たっているだろう。 「森本さん、あんた、久江の結婚式は誰から聞きましたか」と尋ねると「余り親しい友達ではなかったのですが、同じクラスの人です。 それがどうしました」とけげんな顔で聞き返した。 「男ですか、女ですか」と聞く僕に「おとこ・・・ですが」と言って、また「あっ」と声を上げた。 僕はやはりそうだと思って思わずニヤリとした。 森本も同じらしく「まさか、まさかあの野郎が」と言って「梶さん、まさかと思いますが吉川も久江を好きだったのかも知れない」 と言って考え込んでしまった。 「森本さん、これはひょっとするとひょっとしますねえ」と言ってから「川田と吉川のつながりはありますか」と聞いた。 「そりゃ、同じ学校へ通っていてクラブ活動も同じでしたから・・・」と言ってまた考え込んでしまった。 「もし、あったとしたら、これはその二人の巧妙な完全犯罪ですよ。 それも恨みを通り越した呪いのようなものです。久江は呪い殺されたようなものですよ」 と言う僕に森本は肩を震わせて泣き出してしまった。 「決まった訳じゃないのだから。森本さん、気を落とさず」と慰める僕に「すまない一人にしてくれませんか」と言った。 僕は夕闇せまる外へ出た。 空を見上げながら、人間ってなんておぞましい生き物なんだろうと思った。 最初は些細な事なのに、しかも思春期の頃の出来事なのに時間が経つと増幅して一人歩きを始める事がある。 恨みとは尚更、人間の予想をはるかに越えたものに成長をするものだ、と考えていた。 しばらく初夏の夕焼けを眺めていたが、外から森本に声をかけた。 「夕飯にすしでも買ってきます」 返事はなかった。 僕は気にかかったがそのまま寿司屋へ行った。 帰ってくると森本は電気も点けずに部屋の中にいた。 「田舎ですがここのすしはいけますよ」と勧めた。 森本は「あの時、僕が川田にもっとそっけなくしていたら、川田は僕の事はあきらめていたのでしょうね」と言うので 「さあ、それはわかりませんよ。人を好きになったら邪険にされても、されても付きまとう奴もいます。 特に変質的な奴はそうなったら余計に闘志を燃やす奴もいますから。今更言ってみても始まらない。さあ、それより食いましょう。 すきっ腹は体にも心にも良くない。それにそうだと決まった訳じゃない」 森本は黙っていた。 僕は何とか話題を変えなくてはと焦った。 あんなに冷静に見えた森本が涙を見せるなんて予想もしなかった事だった。 酒のせいもあるかも知れない。 「森本さん、すし食ったら風呂に行きませんか。天然温泉の涌いている所がありますよ」と誘った。 「そうですね」と答える森本の声は元気がなかった。 「そんなにしょげ返ると久江が悲しみますよ。カラ元気でも出して」と励ました。 性格の違いなのか、それとも多少でも僕の方が年上という差なのかと考えた。 人が一人亡くなるという事はこんなにいろんな問題が出てくるものなのかと驚いた。 特に不意の死という事になると残された者がこれ程心に負担を負うものかと思った。 久江は僕達に何を訴えているのだろう。 余程、何か無念を残して逝ったのだろうか。 森本は突然「梶さん、遺書には何が書かれてありましたか」と言ったので「ご覧になりますか」と聞いてやると 「いえ、そんな大事なものを見せて頂くのは申し訳ない」と言うのでおかしかった。 「いいですよ、見てやって下さい」と言って箱の中から出して手渡してやった。 広げて見た森本は「たったこれだけですか」と拍子抜けした声で聞くので「そうです」と答えた。 その遺書は手帳を破いたものにたった一言「ありがとう。さようなら」とだけ書いてあって、裏に僕の名前と久江の名前が 書かれてあっただけなのだ。 森本は「久江の死因は何だったのですか」と尋ねるので「警察の話だと、なんでもパーマの液を飲んだという事でした」と教えてやった。 「そうですか。あれは強い酸ですからねえ。一度飲んでしまったら胃洗浄してもダメでしょう。 そんなにまでして死にたい程辛かった事って何だったのだろう」 「森本さん、もう考えるのはよしましょう。さあ、ひと風呂浴びに行くか。今夜も泊まって明日早く出掛ければいい」と声をかけた。 森本は露天風呂につかりながら「梶さん、人間ってこういう思いをしてでも生きて行かなければならないものでしょうか」と言うので 「僕はそういう事は考えない事にしています」と答えた。 森本は「僕も考えない事にしていたのですが、どうしても頭に浮かんできて仕方がない」とつぶやいた。 「ところで梶さん、娘さんとは何か話ましたか」と聞くので 「かわいそうで何も言ったり聞いたり、しませんでした」と答えた。 「日記とかメモとか、手帳の古いものとか残っていないのでしょうか」と気になるようすで尋ねた。 「僕もそれはずっと考えていたのですが・・・・・。もう少ししたら一度尋ねてみようと思っていました」 「娘さんは、今どこにいるのですか」と森本がいうので「家に帰ったら居所を教えますよ」と言って久江の話を打ち切った。 九章へ ジャンル別一覧
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